学校の様子

【特集】修学旅行をふり返って③

【修学旅行2日目】ホテルでの朝食

朝食は海鮮バイキング方式でした。品数が豊富で何を食べるか迷ってしまうほどでした。

〔コロナ対応のため検温器、消毒、バイキング用ビニル手袋・食卓の仕切りビニル等が準備されています。〕

〔朝食ですが、ホヤめかぶやマグロの刺身等の海産物が多くありました。〕

 〔とてもおいしかったです。生徒・教職員も食欲もあり元気で一杯です。ごちそうさまでした。〕

〔お風呂は太平洋を望む最高の温泉で、生徒たちは旅行の疲れもとれたようです。ホテルの皆さんお世話になりました。〕

 

【修学旅行2日目】気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館

2011年3月11日発生の東日本大震災による大津波とその後の大規模な火災は、死者1,152人(震災関連死を含む。)、行方不明者214人に上る最大級の悲劇を気仙沼市にもたらしました。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え、警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として活用し、気仙沼市が目指す「津波死ゼロのまちづくり」に寄与することを目的としています。(伝承館ホームページより)

伝承館ホームページ アドレス  ↓

https://www.kesennuma-memorial.jp/

伝承館(2019年3月10日)に開館しました。この伝承館は、震災当日まで宮城県気仙沼向洋高校(水産系の学科もあります)の校舎として利用されていた建物に伝承館を加えた施設です。

伝承館では、はじめに東日本大震災の被害の様子をビデオで視聴後、4グループに分かれて語り部の方から震災時の津波や生徒・教職員がどのように対応したのかや施設内の様子を丁寧に説明していただきました。

 

〔津波により運ばれた校舎3階の自動車〕

 〔驚いたことに、伝承館3階に栃木県立馬頭高等学校の「平成18年度のインターンシップ事業報告書」がありました。〕

施設案内後に、階上中学校卒業式の答辞のビデオをを見ました。その内容は下記のとおりです。

「答 辞」
今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業式を挙行して頂き有難うございます。
ちょうど10日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。
私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を57名揃って巣立つはずでした。
前日の11日一足早く渡された思い出の詰まったアルバムを開き、10数時間後の卒業式に思いをはせた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らず……階上中学といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切な物を容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。時計の針は14時46分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として顔を上げ常に思いやりの心を持ち強く正しくたくましく生きて行かなければなりません。命の重さを知るには大き過ぎる代償でした。しかし苦境にあっても天を恨まず運命に耐え助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命です。私たちは今それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても 何をしていようともこの地で仲間と共有した時を忘れず宝物として生きていきます。
後輩の皆さんは階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が如何に貴重なものかを考えいとおしんで過ごしてください。先生方、親身のご指導有難うございました。
先生方が如何に私たちを思って下さっていたか、今になって良く分かります。地域の皆さん、これまで様々なご支援を頂き有難うございました。これからも宜しくお願いいたします。
お父さん
お母さん
家族の皆さん
これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。
必ず良き社会人になります。
私はこの階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に本当に 本当に 有難うございました。
平成二十三年 三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原 裕太

※答辞については、「文部科学省ホームページ」から抜粋

感動的な卒業式の答辞に目頭が熱くなる生徒が多くいました。ここで学んだことをこれからの人生(生き方)に生かししていただければ幸いです。

最後に、伝承館で見聞きしたことをもとに、付箋紙に「考えたこと伝えたいこと」等について真剣ににまとめました。

 〔付箋に書かれた内容(記述データ)は東北大学と連携し、今後の安心・安全な生活の活用(アーカイブ)されるということです。写真は、伝承館館長と馬頭中生徒の写真です。〕

お世話になりました。